思い出をなぞりながら帰京-後編-

甥っ子たちに別れも告げず大急ぎで空港に向かった甲斐もあり、定刻よりも余裕で空港に到着。顔なじみの運転手さんにお礼を言い、空港建物内に入り、自動チェックインカウンターで手続きを始めると・・・。
あれ? 画面には自分の乗るばずの定刻午後4時10分発の表示ではなく、午後7時10分発となっている。係員のいるカウンターに行き、便の変更をお願いすると、その女性係員はパソコンのキーボードを手慣れた動作で打った後、

「お客様のご予約はパックになっておりましてご変更不可となっております。
 ご変更される場合、片道料金3万1千500円新たにお支払い頂くことになりま
 すが如何いたしましょう?」

なんつー事を満面の笑みを浮かべたまま、その言葉に詰まる事も無くサラリと言ってのける。そんな彼女の背後の掲示板には『空席有り』の表示が。
いやいや、そりゃパック商品だけどさ、他の旅行代理店ならまだしもJALパックっちゅー日本航空のグループ会社なのに、しかも空席があるのに乗せてくれんのか?
さすが、ボクのなけなしの株券を紙くずに変えた会社だけの事はある。ま、それは前原なにがしという国交大臣のせいでもあるけれども、そんな融通の利かない会社ではもう1度潰れるぞ。あっ、次回潰れる時はボクが今あるマイルポイントを使い切ってからにしてくれたまえ。

さて、これから最終便搭乗までの3時間余りの間、何をする?
一眼レフカメラ以外の荷物を空港のコインロッカーに入れた後、再び出口に向かい、そこからタクシーに乗り込み、運転手さんに事情を話し、
「何処か綺麗な風景写真の撮れるような所へ連れて行って下さい。」
と、お願いしたのだよ。
「やっぱり桂浜がえいがやない? 全部で7000円にしちゃるで。」
と言う運転手さんの言葉に、さすがに再び高知市内まで戻るのは、自分の勘違いとはいえ新しい航空券を買う為の博打で大負けした先日までの自分や、タクシーまで使って急いで空港に来た今日の自分がさらに可哀想な人に思えてくるので、『桂浜行き』は丁重にお断りをし、空港から北の山のその山頂に見える『龍河洞』の展望台まで上ればさぞかし眺めも良いだろうと思い、『龍河洞』を目指した。
昔は多くの観光客が訪れた『龍河洞』。日本屈指の天然鍾乳洞の洞窟へ向かうその道は、昔は必ず『龍河洞スカイライン』という、その洒落た名前とは裏腹に曲がりくねった登り道を行かねば山頂には辿り着けず、荒っぽい父親の運転のせいでその道中で吐いたという喉の奥が焼けるような苦い苦い思い出が其処にある。今ではトンネルが出来ているらしく、山頂に向かうどの車もそのトンネルルートを通るらしいが、幼き頃の自分の魂をその場所に救いに行くように、ここは敢えて『龍河洞スカイライン』で山頂を目指す事にしたのだよ。

がしかし、タクシーで山の中腹まで行った所で龍河洞スカイラインは既に閉鎖。仕方なしに山の中腹で太平洋向けてカメラを構えるも景色はイマイチ。半ばやけくそで、ボクを待ってくれている運転手さんにカメラを向ける。
「こんなハゲチャビンなオンチャン撮っても仕方ないろがえ?」
と、照れ笑いを浮かべながらボクの視界から逃げ回る運転手さんとその場所で、高知の目指すべき未来について語り合った後で再び乗車。龍河洞の展望台を諦めて次に向かう場所は、もうボクの心の中では決まっていたのだよ。

再び車に乗り込み、運転手さんに行き先を告げる。
「土佐山田町にある"はらたいら"さんのお墓までお願いします。」
以前このブログのようなモノでも書いた生前の彼と初めての出逢いから、自分が上京して彼に世話になった頃の思い出を運転手さんに話しながら、その場所を目指すも、自分は"たいらさん"のお墓の場所までは知らず、彼の墓の所在地を知っている方に車中から電話をし、だいだいの場所を教えて貰った後、運転手さんに手渡された地図を睨みながら、また道中、郵便配達員や散歩をしている地元の方に尋ねながら、車同士がすれ違う事が不可能な、というか車1台でも脇を擦りそうなぐらいに狭いその道を辿り、なんとか"はらたいら"氏の墓に到着。

「たいらさん、やっと来たで。っていうか、ボクの勘違いも含めて、
 すべては此処に来させる為のいつもの"たいらさん流"のイタズラやったがやろ?
 まんまと引っ掛かってしもーたで。そっちでみんなぁで楽しゅう呑みよりや。」

墓前に手を合わせるボクの背後で運転手さんも手を合わせながらつぶやく。
「今度の宝くじが当たるように、ワシもはらたいらさんにお願いしちょこ。」
もしもたいらさんが生きていたら、すかさずこう返すと思う。
『神様らぁつまらん仕事に誰か就くものか。』

はらたいら氏の墓を後にして、空港に戻る途中、空港まではまだまだ遠いその道中で、運転手さんがメーターを止めた。
「5050円になったき、もう止めるぜ。」
そう言って、普段客を乗せている時、つまり実車中は法律で通行が禁止されている"公道ではない"その物部川沿いの小道を
「今は空車中やき、プライベートやき通ってえいがよ。
 写真を撮りたい場所があったらいつでも言うてよ、停めるきに。」
と、笑いながら走ってくれた。
やっぱり高知は気候も人も暖かい。

今日1日、記憶の片隅に眠っていた思い出をなぞり、そして新たな思い出を作ってくれたその運転手さんに、空港に到着後、僅かばかりのチップを渡しながらお礼の言葉を言ってタクシーから降車。空港内の建物に入る頃には、明らかに先ほどとは違う、前向きな気分で東京行きの最終便を待つ自分がいたのだよ。
だからまた渡す相手も決めずにお土産を買い過ぎた2013春・高知最終日___。

日記