だからといって病院に行かない理由にはならないのだけれど

34年前の今日の夜。2日前、ボクの進路問題で初めて子供の前で夫婦喧嘩を見せ、家を飛び出した先から自分が経営する店に通っていた母が、その日の夜、まだ店の営業時間だというのに家に帰って来た。慌てた様子で引き出しの中から父親の健康保険証を取り出した後、まだ事情が飲み込めないままそんな母とテレビを交互に見ていたボクと弟に、「お父さんが倒れた。一緒に病院に来なさい。」と言った時の母の真剣な表情を生まれて初めて見た当時まだ子供だったボクは、2日ぶりに家に帰って来た母と共に急にやって来たその望まざる非日常的な恐怖に押しつぶされないよう、口を真一文字に結んだまま、家の前で待たせてあった車に乗り込み父の搬送先の病院に向かった。

車中での母の説明によると、父は会社の同僚たちとの麻雀の最中に気分が悪くなり、途中その輪を抜け自分の車を取りに行った駐車場で倒れて病院に搬送されたらしく、すぐにその一報が母に知らされ、母も大急ぎで一度病院に向かったらしい。母が駆けつけた時に父は朦朧ながらも意識を取り戻していたらしく、「気持ち悪いき、背中さすってくれ。」という父の要望に応えていたらしい。しばらくして、入院の手続きをする為、看護師の詰め所で書類を書いている最中、父の病室から大声で父を呼び続ける看護師の声に気づき慌てて病室に戻ってみると、父は再び意識をなくしていたという。

ボクらを乗せた車が夜の病院に到着。緑色の非常灯だけが灯る夜間出入り口から建物に入り、暗い廊下を看護師の案内のもと、父の居る場所へと走る。母に手を引かれている弟はまだ幼すぎて事の重大さが理解出来ておらず、暗い廊下の先をみつめながら走る母に眠気を訴えている。
ボクらが案内された先は、I.C.U。集中治療室。大きなガラスに隔てられたその部屋で、様々な医療器具が稼働しているその中央のベッドに父は仰向けで寝ていて、部屋に入り父に近づくと、酸素マスクはもちろんの事、父の鼻の穴や着せられた青い布きれの中から出たたくさんのチューブがその医療器具に繋がれている。
「手を握って声をかけちゃりなさい。」と言う母に促され、恐る恐る父の手のひらを握ったのだけれど、その大きく分厚い手のひらがこちらを握り返す事はなく、それだけならまだしも、あんなに怖くて強かった父親が、鼻の穴にチューブを通されても何ひとつ文句も言わず無抵抗に目を閉じている事が、子供ながらに悔しくて、「お父さん・・・。」と呼びかけというには余りにも小さい声で呟いただけで、少ししてからI.C.Uを出て、その先の真っ暗な廊下で泣いた。

声が響きすぎる夜の病院の廊下。なるべく泣き声をあげないように食いしばる歯がガチガチとあたる頬から顎へとつたう涙は拭われる事もなく、そのまま顎の両端からポタポタと廊下に落ちてゆく。拭えないのだ。拳を堅く握ったままの両腕はその『悔しさ』を堪えるべく力が入り過ぎ、動かせないでいる。さっき父の傍らで感じた無抵抗な父の姿への悔しさに、数日前に初めて子供に見せた大きな夫婦喧嘩。その原因がボクの進路問題だったので、つまりはボクのせいで父がこんな目に遭ったんじゃないかという自分自身への腹立たしさが相まって、声を殺したまま、それでもボクを慰めようと声をかけてくれる叔父さんの言葉も無視して、誰にはばかることなく泣いた。

医師の説明によると、父の血液型はRHマイナスで、緊急手術をする血液が足らないのと、仮に血液が足りていたとしても手術をして回復する見込みはゼロに等しく、どんなに状況が好転したとしても、このまま生命維持装置を付けた状態で"植物人間"のままだと言う。今でいうところの『脳死状態』だったのだろう。
それでも母はその夜から24時間ずっと父の傍から離れる事なく看病をし続け、その数日後、ボクが学校から帰って来た家の奥の部屋で、煌びやかな布団を肩まで掛け息せぬまま寝ている父の枕元で母は正座を崩す事もなく、病院での看病の最中に見た父の夢の話を、父の寝顔を見守りながら穏やかな口調でボクに聞かせてくれた事を今でも覚えている。

と、ここまで長々と書いたのだけれど、要するに今日は「こりゃ死んでいるんじゃないか?」と自身が思うほど日中からずっと寝てばかりいたというだけのお話____。

日記