時には背伸びも必要さ

背伸びをして自分の能力より上の環境にその身を置く者の姿は、その逆を生きる者から見れば、その背伸びしたままでの行動や言動が時に滑稽かつ窮屈そうに見える。しかし、背伸び自体を否定するつもりは毛頭無く、その者の成長過程において背伸びをして生きる事が必要な時期というモノが確実にあり、それを経た上で初めて自身の身を置くのに相応しい場所、即ち、自分が心地良いと感じる場所を見つけられるのだと、オッサンのような人間は思う。

が、中にはいつまでも背伸びをして自身を見失っている者がおり、そういう者に限って、自分の背伸びが招いた結果を他人のせいにして文句を言ったり、最後には当人と逆を生きるオッサンのような人間を否定する事で、自分を保とうとする。オッサン自身は自分が否定されようが肯定されようが、テメェの勝手で生きているので別段気にもならない。がしかし、オッサンの周りの人間まで否定されると、オメェのそれはひと切れの生ハムみたいに薄くて向こうが透けているぞと意地悪なオッサンが顔を覗かせる事もあれど、如何せんブリンカーを付けて視野角の狭まった者には、意地の悪い言葉と諭す言葉との区別さえもつかない。そもそもこっち側がマザーテレサのような御心に成りきれていない時点でその者を救う事も出来ないし、端っから"救おう"などという大層な気持ちもさらさらないのだけれど、マザーテレサもキリストも我々と同じく屁は臭かったと思うぞ。それを踏まえて敢えて言おう。
悩みのない者などおらぬ。苦労の質こそ違えど皆それぞれに苦を抱え生きている。

要するにだ、他人は時に自身の鏡であり時に先生である、プー____。