50年に1度

「50年に1度」
50年前は生まれてもなかったし、仮に生まれていたとしてもチン毛も生えていない年頃のガキではなんの意味も無い。そして50年後は生きていない。いや、医療技術がさらに進化したとしても、こんな生活をしている我々が生きているはずもない。だったら今しかないんじゃないか!?

「じゃあ明日にでも行ってみる?」
「いや、今は交通規制が凄いらしいで。」
「じゃあ秋に。50年に1度やし。」

そんな話を店のマスターである同級生とカウンターを挟んでしたのが今年の春。
というのも、この秋に高知市の五台山にある四国霊場第三十一番札所として有名な竹林寺で秘仏本尊である文殊大菩薩像がご開帳される。春と秋の2度のご開帳で、この秋のご開帳を見逃せば次の機会は再び50年後という、我々の不摂生振りからすれば完全に死後の話なわけで。

といっても、以前親交のあった某作家兼ラッパー嫌タレントの彼ほど仏像に対して興味があるわけではないのだけれども、「50年に1度」という文言が、先に登場した酒好きなマスターや自分のような後世に何も遺せなそうな者にとっては、その場に立ち会いさえすれば「自分はこの時代に確実に生きていましたよ」という証が、心の中だけにでも残るという、もはやそれは自己満足でしかないような気がしないわけでもないけれど、まさしく有り難や有り難やなんまんだぶーなひとときなわけで、竹林寺の坊主と仲良くなればいつでもコッソリ見せてくれるんじゃないの?とかそーゆー下衆の勘ぐりも無しで、この秋のご開帳に合わせ帰省しようと思うのだよ。
それと、誰か某作家兼ラッパー兼タレントの彼と親交のある方、是非彼にも教えてあげて下さいな。いや、彼ぐらいにもなれば知っているかもしれないけれども。

機会があればアナタも是非。
例えば、50年後に生きているであろう誰かを連れ立って行けば、ひょっとしたらその誰かが50年後にアナタの事をふと思い出してくれるきっかけぐらいにはなるかも。
それはそれで素敵な事だと___。