愛とオケラとダンボール

____「たとえ繁華街で裸虫(オケラ)になっても歩いて帰れるように」

そんな理由から、かれこれ20年近くもの間、新宿の周りを代々木→初台と移り住み、東京の親代わりでもあった新宿2丁目のマスター和美さんの癌との闘病がいよいよ佳境に入ってきた頃、「いつでも和美さんと店の様子を見に行けるように」と新宿に住処を構えたのだけれど、引っ越しの半月ほど前に店を閉め自宅療養から入院を経てこの世を去った和美さんの亡骸に「おひおひ、人に転居までさせておいて、最後の悪戯にしちゃーとんだ悪戯だな。」と恨み言を言ってからまだ5年も経っていないこの夏。

「お幾らなら此処をお売り頂けますか?」
事務所兼自宅である玄関先に突然現れたスーツ姿の二人組のその言葉はまるで「罪滅ぼしよ、ウッフン♪」という和美さんの声に聞こえたような気もしないでもないけれど、自分としては一番最初の理由「オケラでも歩ける距離」がもっとも重要で、最近では更に「翌日に疲れを残さぬ距離」という加齢に伴う備考が付け足されているわけで、早い話が今の場所から離れたくはないのだよ。

「そーだねー、100億円。」と鼻の穴を穿りながら小学校低学年レベルな言動を口走りそうになるも、よくよく考えれば自分は『持ち主』でもなんでもない上に、どちらかと言えば限りなく不法占拠者に近く、いつ『持ち主』に追い出され路上生活になっても不思議ではない身。
「ダンボールとブルーシートを山ほど下さい。」と、涙ながらに訴えそうになるオケラの休日__。