『オレ夏』原点

元々、『オレ夏』シリーズはボクと同世代の仲間たちが、飯を喰うのにも事欠いていた20代前半頃から、それでもなんとか貯めたお金で安い飛行機チケットを探したり、沖縄本島のビジネスホテルではフロントに頼んでシングルの部屋に2人で泊まったり、時には知り合いの家に泊めて貰ったり、端から見ればなんとも見窄らしい旅に見えたのだろうけれど、それはそれは楽しい旅だった。

伊平屋島に嵌まった理由も、お金の無い若造のボクらに対し、仕事を休んでまで船で沖の美しいポイントに連れて行ってくれたり、夜は夜で一緒にセッションをしながら満点の星空の美しさを教えてくれた津田氏(通称ゴリさん)のお陰であり、伊平屋島民に助けられその人生を死ぬまで伊平屋島の為に捧げた元・特攻隊員の飯井さんの家に連れて行ってくれたのも、やはり津田氏であった。

あれから約二十数年が経ち、毎年伊平屋に行く度に島の友人も増え、それと同時に観光客が知る必要も無い島の内情も知り、途中、ボクが始めた『オレ夏』が新宿2丁目常連グループに吸収され現在の形になり、あの頃の自分ぐらいの若者に「オジサン」と呼ばれるようになった今でも、島の内情に嫌気が差す事もなく、よく飽きもせず伊平屋島に魅了され続けているのは、やっぱり最初の頃にこの島のたくさんの美しいポイントを、いつまでも大切にしてゆくべき風景をボクらに見せてくれた津田氏のお陰と言える。

「オレは島の外の人間だからさ、今じゃおにーちゃん(津田氏)の嫌いなあの人ともあの人とも仲良いし、あの人らの言い分も解るよ、大人としてね。でもね、これだけははっきり言える。外から見た人間だからこそはっきり言える。それは、この島にはおにーちゃんみたいな人も絶対必要だって事よ。ま、コウモリみたいで卑怯に思うかも知れんけどさ、オレもこの島が大好きだからよ。」

東京からのメンバーが乗ったフェリーを見送った港の端っこ、浮かべた漁船整備の手を止め話す彼と、岸壁の縁に腰かけて話すボクの向こう側には、今日も穏やかで何処までも蒼い海が広がっていた____。