さらば、愛しきロックカメラマン

彼と初めて出逢ったのは、新宿2丁目『姫』のカウンターではなく、もっと昔、今から30年も前、渋谷の道玄坂を上った百軒店の奥にあるスナックにボクが毎晩のように入り浸っている頃だった。
世話になっていた店のマスターから「カメラマン」と紹介された彼は、パンチパーマを膨らませたようなアフロヘア、鼻の下には黒々とした口髭を蓄え、昭和ヤクザ風なスーツ姿に身を纏った出で立ちで、如何にもアウトローな「業界人」の匂いを店内に放っていた。

それから約10年を経て、彼と再会したのが新宿2丁目『姫』だった。あれだけフッサフサだった髪の毛を、まるで帽子を脱ぐかのごとくスポッとまるごと取ったかのようなその風貌と、モダンな和装風な服装に、最初はあの「バリバリの業界人」の彼とは気づかなかったほど。けれどやっぱりあの頃と同じで、酒が大好きで、けしてお喋りな方ではなく、時々隣人の話題をその飄々とした独特の口調と笑顔で評しては、また大好きな酒を少しずつ口に運んではニヤニヤしているのは変わりなく、その上に今度は「世捨て人」感まで身につけていた彼。


「俺みたいな終わったカメラマンが言うのもなんだけどさ、ツカサはその殻を破んなきゃダメだよ、破れるんだからさ。」

酒の席でボクの話題になると、直接ボクに何かを教えたいけど、いつも遠回しな口調になってしまう彼は、その頃のボクの瞳には「若い奴を無責任に諭したいその他大勢の大人」にしか映らなかった。
それが何故、こんなに長く付き合い、一緒に沖縄の離島に通うようになったり、一緒に墓参り旅行に行ったり、自宅に招いたりする仲になったのかは、新宿2丁目『姫』の常連メンバーなら誰でも知っている事で、彼がボクのライブに欠かさず来てくれて、時々彼独特の言い方でアドバイスをくれたり、アル中で震えるその手で「上手く撮れねぇんだよなー」とやっぱりニヤニヤしながらカメラに収めたブレブレの画像を見せてくれたり、酒の席で誰かが揉めると必ずあの独特の笑顔で割って入る優しさだったり、痛風持ちのくせに大好きな酒とエビをしこたま喰らい、案の定翌日に片足を引き摺りながら「痛ぇなやっぱり」とやっぱり皆に笑顔を見せてくれたり、時折現役の頃を思わせるような鋭い目つきで何かを想うその姿も、ここでは書けないプライベートな事情も含め、彼の優しさ、生き方すべてが「自分のケツは自分で拭く」ロックそのものだった。

「相変わらず調子は良くねぇけどさー」と笑いながらもやっぱり酒を飲む姿を隣に、この人は決して病院のベッドでは亡くならないであろう、しかも亡くなった事を仲の良いボクらも含め誰にも知らせないであろうと常々思ってはいたけれど、そんな彼が年末に手術入院した事や、先日、某県の道の駅に駐めてあった彼のキャンピングカーの車中で遺体として見つかったという知らせを人伝に聞いた時、淋しさと同時に「自分の死に際を誰にも見せない」彼らしさに納得してしまった自分がいる。
きっと「今頃見つけたの? 遅ぇよ」と、してやったりのニヤニヤ笑顔を浮かべているに違いない。

大丈夫、アナタの意思も俺は継ぐ。
ただただ心残りなのは、痛風の話題で盛り上がれる仲間が居なくなった事と、華も咲かせず枯れゆくアーティストをこよなく愛してくれたアナタに自慢させてあげられなかった事か。
さらば、愛しきロックカメラマン。いつかまた逢うその日まで____。