こちとら破損性難聴ぢゃ

『突発性難聴』という言葉を見かける事が多くなった今日この頃。
先日もミュージシャンのスガシカオ氏がこの病気を患っているのが
ネットでもニュースになった。

で、ボクの例の左耳はというとだね。4年前にパンコール島の海の底で
ブチューッと鼓膜が破れ、内耳に海水がダーッと入り込んで来て以来、
日本に帰国後3度もの鼓膜再生手術を経た現在もやはり聞こえが悪い。
誤解の無いように説明すると、普段の日常生活にはまったく支障はない
(いや、未だ耳栓をしていても長い時間泳げないのだから支障はある)
のだけれど、いかんせん超高音域がまったく聴き取れない。
端から見れば本当に些細な事なのかもしれないけれど、歌唄いにとって
楽器の演奏音はもちろんの事、自分の声のそのわずかな響きの違いが
聴き取れないのはこの上ない苦痛なのだよ。

術後の通院期間はそれはそれは何度も、密閉された無音検査室の中で
聴力検査を行い、データと照らし合わせて、担当医の判断を仰ぐのだけ
れど、「聞こえているはずですが・・・。」という医師の判断に、
「いや、そうじゃなくて・・・。なんて説明したらいいのか解らないんですが、
 風を切る音というか、あらゆる音の一番上の、自分としては一番気持ち
 の良いその部分がまったく聞こえないんですよ。」
と、それこそ何度も食い下がった覚えがあり、
「ひょっとしたら内耳骨の何処かに障害が残っていませんかね?」という
自己診断に、困り果てた担当医も違う大学病院を勧めたほど。

自分の声のその僅かな響きが聴き取れないとどうなるか。
ボクの場合は、唄い方が解らなくなった。口腔内をどんな形に開ければ、
前のような響きが出るのかいろいろ試してはみたけれど、いかんせん、
その肝心の僅かな響きが左耳では聴き取れない。解りやすく言うと、
ヘッドフォンをした状態では、僅かではあるけれどセンターポジションが
右に寄っているのだよ。両方がバランスよく聞こえてこそ、確信を得られ
る超高音域のそれが「不安定」なのは自分にとっては何も聞こえないの
と一緒なほど「不安」を感じるのだよ。おまけに、周りの音量、自分の声の
音量にかかわらず、ある程度の音量を越えると、左耳は「ザザーッ」という
破れた障子のような音しかしせず、本当に役立たずになってしまう。

で、不安ゆえに自ずと唄い方が変わってしまう。時としてそれは今までの
自分の響きでない事すら自身では判断出来ないそれを、そんな事情まで
は知らないバンドメンバーたちに時に「練習不足なんじゃないの?」と
一言で片付けられ説明するのももどかしく奥歯で歯がゆさを噛みしめる。
試行錯誤の日々はやがて「苛立ち」や「諦め」といった様々なストレスになり、
当時付き合っていたの彼女(現・二代目)にどれだけ当たり散らした事か。

さて今現在。左耳は以前に比べ良くなった感はまったくないけれど、
今でも自分の歌声や楽曲に温かい眼差しをくれる方々のお声を指標に、
心の中では「左耳が治ったらもっと良いヤツ出来るけどね。」という
天の邪鬼な自分を諫めつつ、一生治らないなら治らないで、それも
自分が背負うた十字架として、時に再び無様に藻掻きながらも、
この表現者の道を歩く事で、誰かが笑顔になってくれるのなら、
やっぱりボクはこのまま歩いてゆくだけなんだろうと。
もちろん、端から見れば「小憎たらしい涼しい笑顔」はそのままで_______。

スガシカオがんばれー。