破れた鼓膜

水深5mの海の底。
其処に大きなイカが悠然といたのだよ。
それはそれは美味しそうなイカなのだよ。
大きく吸った息を肺に止め、一気に底まで潜り、
左手に握りしめた銛を勢いよくイカの背中に突き刺す。
スミを吐き抵抗するイカ。次の瞬間・・・。

「バシュッ!!チューッ!!」

水中で三半規管をヤラれると、どちらが上か下かも判らなくなる。
突然襲ってきた左耳の激しい痛みに、肺に溜めていた息もほとんど
吐き出してしまっていた。
何度も言うけど、此処は水深5mの海の底。
1秒も早く海面に出て酸素を吸いたいという生存欲求と、
それをも諦めてしまいそうになるくらいの激痛とが戦う海の底。

「こりゃ、鼓膜破れたな。」
「アレ?どっちが上だっけ?」
「諦める?それともやるだけやってみる?」
「まったく、調子に乗るといつもこうだよ。」

本当にそれは一瞬の事なのだけれど、
生存欲求と激痛に支配されているはずの心のどこかで、
まだそんな冷静でいられる自分自身が可笑しく思えたから、
だったらとりあえず上っぽい方を目指せと・・・(笑)。
痛みで固く閉じてしまいそうな瞼と目元の間の狭い視界から見える
水中メガネ越しの明るい方を目指して必死で水を掻きバタ足をした。

間もなくして水面に出たので、口元のシュノーケルを外し大きく息を
吸い込み、シュノーケルを再びくわえ直した。
ひとまずこれで生命の危機は遠ざけたのだけれど、
この気の狂いそうな激痛を我慢して、遠くに見える浜辺まで泳げるか
どうか不安で仕方ない。
といっても、泳がないとやっぱり溺れ死んでしまうので
またまた必死で泳いだ。

岸までたどり着くまで、痛みを紛らわせようと、
シュノーケルを噛み千切ってしまいそうなほど
歯を食いしばったその口元から、振り絞る声で唄う歌。
『ケ・セラ・セラ』________________。

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