不出来な皿は皿なりに

故人K氏を偲んで下さる方々の為に、臨時ではありますけれど、
今までのこの日記のようなモノの中から、彼に関する事を
カテゴリー「新宿2丁目・姫」として区分いたしました。
枠外右横の「カテゴリ」欄の「新宿2丁目・姫」を押して頂くと、
新しい記事から順に、例えば、今日現在はこの記事が最新ですので、
この記事から順に、下に向かうほど古い出来事になります。

もちろん、自分のような若輩者などその足下にも到底及ばないほど、
故人とのお付き合いも長く、また彼の事を誰よりも思って下さる方々
の中には、「何だ?この小僧は。途中からしゃしゃり出てきて。」と、
不快に思われる方が、この世にもあの世にも大勢いらっしゃる事で
しょうし、稚拙な文章力ゆえ、文章の中に出てくる彼と彼のご友人らの
言動や所作の"奥ゆかしさ"などに関しましても、皆様の誤解を招きかね
ない表現をしている箇所が多々あるとは思いますが、所詮は若輩者の
勝手な妄想と戯れ言でごさいますゆえ、何とぞご容赦下さいますよう
お願いいたします。


↑題名『その老人たちの笑顔、少年に勝り』 2009年7月沖縄・伊平屋島にて

Y氏「ボクがそんな事いつ言ったっ!?」
K氏「アラ? アンタもう呆けちゃったの? 可哀相な子ねぇ。」

↑2010年7月沖縄・伊平屋島にて

自分は晩年の彼しか知らないけれど、彼が癌を患ってから
亡くなるまでの間、特に、店に彼と自分しか居ない時は、
彼の幼少期や少年期、初めてお酒を飲んだ時の事、
東宝歌舞伎の役者時代の事、新宿2丁目「姫」を始めた頃の事、
某有名人たちとの経緯、奥さんと結婚に至った経緯、歌舞伎や
日本舞踊、小唄、長唄、落語の演目についての説明、若い頃の
旅の思い出、昔の新宿2丁目の風景、失敗談、古くからの常連客
を含む一人一人との思い出話から、料理・洋服の片付け方まで、
いやいや、此処では書ききれない程の膨大な量の話を、聞いて
いる側の自分をも彼の物語の中に誘ってくれるかのように、
時にはカウンターの奥から取り出したメモに図を書いたりして、
それはそれは丁寧に聞かせてくれた。

また時には、自分が何かに悩むその度に、いつものあの笑顔と
穏やかな口調で、自身の経験をもとに、その解決の糸口を必ず
提示してくれた。時にそれは、カウンターのこちらで聞く自分に、
まるで自身の大切にしてきた何かを受け継いで欲しいようにも
映った晩年の彼の瞳。
こっちはこっちで彼に教えを請うておきながら、彼が今までして
きた他人への気遣いや心配りが、不出来な自分に真似出来る
はずもなく、いつも最後はこちらが苦笑いでその瞳から視線を
外しては、また彼に優しくたしなめられ。
その繰り返しであったように思える。

ごめんねKさん。今でもやっぱりボクは、アナタの半分すら真似出来
そうもないや。
ただアナタは、自分が受け皿として選んだ器に大きな穴があいている
のも承知の上で、あれだけのたくさんの水を注いでくれたようにも
思えるので、穴から漏れるその水を下にこぼさぬよう、
両方の手のひらですくいながら、次の受け皿に注いでゆくよ。
アナタのように穏やか笑みで_______________。