伝える事はムツカシイでもタノシイ

「自分のファンでもない、自分の事を知らない聴き手に自分の唄を如何に伝えるか、本当に難しい。」

2年前の夏の沖縄・伊平屋島。
灯りの消えた真夜中のホテルの食堂で、今ではすっかり『自称』が付いても可笑しくないほどライブ活動もしていないボクと、島でフェリー船員として五人の子供を養いながら様々なイベントでライブを披露している若きロックミュージシャンのコータ。その二人が並んで座るテーブルの向かいには、国の重要無形文化財・『組踊音楽歌三線』保持者で人間国宝に認定されている西江喜春(にしえ きしゅん)氏。
薄暗い食堂の一角。3人だけが座るテーブルだけを照らす灯りの下には、一人また一人と自分の寝床に戻って行った島の友人たちが残した泡盛の空き瓶やグラスたちが夜の深さを物語っていた。

西江喜春氏に初めてお目にかかったのは、4年前のやっぱりこのホテルで、丁度、宿のおとーさん方の10年に1度開かれる『一門会』なる、日本全国から一族郎党がワンサカ集まった会に、赤の他人のボクが島に住む西江家の一員として『接待役』を仰せつかった日の事。(『缶詰の蓋を開けながら-伊平屋9日目中盤-』2017年7月14日参照)

海から帰って来てベッドでウトウトしていたボクの右側の壁の向こうから、普段本土に住むボクには馴染みの少ない音楽が、三線と唄声に乗せて聞こえてきたのだけれど、その時の感覚は今でも覚えていて、壁1枚隔てているにもかかわらず、その唄声と三線の厳かさや何処までも届きそうな伸びやかさに、まるで自分の身体が音に包まれ宙に浮いたかのような心地良さがあった。
後になって、島の公民館で宿の家族たちと一門会の準備をしながら、
「いやーこんな不思議な感覚、久しぶりよ。いったい誰が唄ってたのさ?」と尋ねて初めて、隣の部屋にいた西江喜春氏が一門会に向けて練習していた事を知った。

「あー人間国宝かー。なら、しゃーない。おとーさん(宿の)のソレとはちょっと違ったもんなーハハハ。」
宿のおとーさんはおとーさんでかなり上手いのだけれどね。

____話を2年前の夏に戻そうか。
沖縄伝統芸能とロック。ジャンルはまったく違えど、唄い手3人が悩む事は一緒のようで、
「自分のような芸は、特にお祝いや今晩みたいな○○記念とかの席に呼ばれる事が多いわけさ。みんな、馴染みの少ない伝統芸能より酒と料理とお喋りに夢中で、そんな中で如何にこちらに振り向かせるか。」
と言う喜春氏の言葉に、
「ボクらみたいな大衆音楽ならいろんな反則技使えるけど、喜春さんは伝統芸能ですしね。立ち上がってお客さん煽ったりしたら大変だし。人間国宝が立ち上がったーーっ!!って騒ぎになる。」と笑うロック組二人。

それでも3人とも共通していたのは、「この曲は絶対聴かせたい。ここぞ!!」という時に必要な事は、その曲を唄う『技術』はもちろんの事、聴き手に伝えようとする強い『念』であって、その双方のどちらも欠かせないからこそ普段の練習に対する取り組み方が大切という事。
その他にも、楽しくためになる話でおおいに盛り上がったのだけれど、如何せん時刻は真夜中の1時過ぎ。
ボクは昼の海で遊んだ疲れと、コータは朝から船員としての仕事疲れでヘトヘトで、この日島にフェリーで入って来て、島の分村記念式典で唄って、年齢も年齢だけに疲れているであろう西江喜春氏だけが何故か元気で、最後にはコータと目配せしながら、「いかにこの人間国宝を自分の部屋の床に就かせるか」に苦慮したのを覚えている。

人前で唄わなくなって1年。
こんな錆び錆びの矢では誰の心も射抜けないので、せめて『念じる』事から取り戻してゆこうかね。

曲がれ曲がれクニャッと曲がれ。違うか____。

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