2009沖縄・伊平屋島の土産話(テント張るのは延期だぁ!)

「テントを張る練習はしておいてね。」
という新宿2丁目のオカマ&常連たちの合流日まであと2日。
けれどこんな炎天下でテントなんか張ってられるか。
テント張り練習は明日に延期ぢゃ。
ということで、せっかく東京から送っておいた
大型タープ型テント2張りをホテルの倉庫にしまったまま、
ビーチチェアだけを車に載せ、午前中は伊平屋島の南、
野甫島の架橋下でゆっくり過ごす事にする。

ふぃー。海からの風が気持ち良いやね。
架橋下に出来た日陰に設置したビーチチェアに腰を降ろし、
うっちん茶片手に海を眺めるボクの目の前で、
「島の日差しをナメちゃいかん。」というボクの忠告を無視し、
上半身裸でビーチマットに寝そべる友人F。
容赦無く照りつける太陽に肌身を晒す事数十分。
クールで几帳面な性格ゆえ、寝返りどころか、その姿勢を少しも
崩さないまま、顔だけをバスタオルで覆ったその恰好でビーチマットに
横になっていた友人Fのその胸元にコントラストのハッキリした、
たぶん来年まで残るであろう天然の白いペンダントが完成した事は
言うまでもない。

ボクはボクで、昨日と同じく左耳にしっかりと耳栓を詰め、
海の中に入ってはみたものの、底が白砂なので海の見栄え
こそ綺麗だけれど、珊瑚が少なく魚影も濃くはないので、
すぐに水から上がり、あとは白砂の上をゴゾゴゾと行き交う
ヤドカリたちを捕まえたりして時間を過ごした。

ヤドカリ拉致にも飽きた午後。再びビーチチェアを車に積み込み、
野甫島を後にして、昨日探索しておいた島の西側の海へ向かう。
島の西側。灯台に行く手前の浜に降りて、車で待つという友人Fを
尻目に海に入る。
おーっ! 透明度も良いし魚の種類も多いじゃんか。
急に深場になるのとガンガゼ(オニウニ)が多いのが初心者には向か
ないけれど、ここは当たり。みんなが合流したら教えてあげるのぢゃ。

__夜。ホテルで夕食終了後、12日のミニ・ライブのリハーサルも兼ねて、
島の運動公園に向かう。前もって連絡をとっておいた島在住の元ギタリスト、
現在は漁師兼食肉加工業を営む津田 隆氏(通称ゴリさん)と、その息子である
隆行も間もなく合流。この親子ともやはり18年の付き合いだ。
知り合った頃は17歳の少年だった隆行も今年結婚、そして一児の父となって
いた。自然、ボクらからは「おにーちゃん」というあだ名で親しまれている
隆氏はおじーちゃんになり、そのジジ馬鹿たるや、彼を昔から知っている
ボクらが想像もつかないほどの変貌ぶりだった。そんな二人に、かねてから
henssimoでやっているスローバラード「照るしの唄」を唄って聴かせる。

東京では何度もライブで唄っているこの歌も、
実はこの島に住む人達に聴いて貰うのはこれが初めてなのだ。
そしてその第一号はこの親子でなければいけなかった理由がボクの中に
あった。
そもそもこの歌の詩の内容は、ボクがこの島を初めて訪れて以来、毎回、
おにーちゃんである津田 隆氏にいろいろな話を聞かしてもらい、そんな
様々な話をしてくれたおにーちゃんの傍にはいつも息子の隆行が、時に
は尊敬の眼差しで、そして時には反抗の眼差しで父親を見ていた。
そんな彼らの話や気持ちをボクなりに理解し書き上げたのが、この
「照るしの唄」なのだよ。

そんな「照るしの唄」を始め、ギター担当の友人Fと二人、
12日のリハーサルがてら、用意してきたナンバーを聴いて貰った後は、
「さぁ、久しぶりにセッションでもしよーか。」
と、みんなでセッションを楽しんだ。

初孫の抱き過ぎで指の動きは多少鈍ったけど、その鋭いタイミングは
相変わらず健在のおにーちゃんや隆行に出逢えた事をあらためて嬉しく
思いながら見上げた空には、余す所なく全てを照らすような月明かりと、
それに負けぬくらいの無数の星が輝く、そんな伊平屋2日目の夜___。